孝謙天皇の時代(⻄暦749〜)の創建と伝えられるが、定かではない。もとは⿃⽻城内の三之丸に建⽴され、室町時代 法譽上⼈が住職(⻑禄元年、⻄暦1457〜)となり中興開⼭上⼈となられた。
江⼾時代 ⿃⽻藩主、内藤家(寛永⼗年、⻄暦1633〜)の菩提寺となり、現在地に移転させたと伝えられる。本尊は阿弥陀如来⽴像、⼭⾨を⼊ると鐘楼、庚申堂、宝篋印塔、仏⾜⽯、地蔵尊⽯⼤座像、千体堂、観⾳堂、右側に本堂、庫裡がある。
内藤家は内藤和泉守忠勝公まで三代続く。延宝⼋年(1680)、江⼾の増上寺(浄⼟宗⼤本⼭)で徳川四代将軍家綱公の法要で事件は起こった。⿃⽻藩主忠勝公と相⼿の丹後宮津藩主、永井信濃守尚⻑公はかねてからの⽝猿の仲であった。当⽇は双⽅とも警護を命じられていたが、尚⻑公の態度に⾯⽬を潰されたと思った忠勝公は意を決し、尚⻑公に切りかかりとどめを刺した。翌⽇、忠勝公は切腹、お家断絶となった。この事は松本清張著「増上寺刃傷」にも詳しく記されている。
この事件の21年後に忠⾂蔵で有名な⾚穂藩主、浅野内匠頭⻑矩公の江⼾城刃傷事件がおこる。実は、⻑矩公の⺟は忠勝公の実姉にあたることはあまり知られていない。⼜、四⼗七⼠の⼀⼈、奥⽥孫太夫重盛はもと⿃⽻藩の家⾂でその姉、波知が嫁⼊りした時付⼈として⾚穂藩に移ったといわれている。
350年の時を超えて、ここ⿃⽻と⾚穂とを結ぶ深い縁を感じるこのできごとである。内藤三代様は今も⻄念寺に眠り、本堂にご位牌、春曜⼭に墓所がある。そこから⾒える⽊々の深い緑と⻘い海が、遠い昔の悲劇を忘れさせてくれるようである。
写経会のご案内 心静かに自分を見つめてみませんか?
◆⽉⼀回の写経体験を⾏っています。
ご先祖のご供養のため、ご⾃⾝を⾒つめ直すためにも⼼静かに⻄念寺で写経をしてみませんか。
多くの⽅々の参加をお待ちしております。
浄⼟宗の経⽂である「⼀枚起請⽂」「発願⽂」「四誓偈」の いずれかを写経します。写経の前に経⽂を称え、住職の法話を聞きます。
※写経体験についてはお問合せください。
年間行事予定
◆2⽉ 涅槃会(ねはんえ)
✿涅槃会とは…仏教を開かれた、お釈迦様がお亡くなりになった⽇にそのご遺徳をしのび、その時の様⼦を描いた涅槃図を⾒て、その教えを聞き、ご回向するこ とをいいます。⻄念寺では「内藤忌」として内藤家三代様のご回向もさせて頂きます。
✿涅槃図…⻄念寺の涅槃図は歴史的にも貴重で、京都今出川の縫師によって刺繍されています。⿃⽻藩主内藤忠勝公の願いで⼀代、⼆代様の戒名が掛け軸の⾵帯に刺繍されています。周りには内藤家や檀家様の戒名が刺繍されています。延宝6年(1678)作と刺繍されていますが、この⽇付は、あの江⼾増上寺刃傷事件で⿃⽻藩がお家断絶お取り潰しになった⽇のたった2年前になり、内藤家の悲劇が⽬に浮かびます。さらに裏には江⼾安政の⼤地震の時にこの図も被害にあったらしく、修復したことが書かれその回向をした⼈の名前が書かれています。この中には、近隣在住のご先祖様の名も⾒られます。
涅槃図には多くの弟⼦や動物たちが悲しんで集まってきています。お釈迦様が亡くなったことで8本の沙羅双樹の⽊が半分変⾊しています。具合が悪いことを⼼配してお⺟さんのマヤ夫⼈が極楽浄⼟から右上に来ています。⼿前でびっくりして気を失った阿難尊者が倒れています。 年1回の尊いご開帳です。みなさまお誘い合わせの上、ご来寺ください。
◆5⽉ 花まつり
仏教を開かれた、お釈迦様の誕⽣をお祝いするお祭りです。お釈迦様がルンビニー園という花園 で、⽣まれた故事にちなみ花御堂をきれいなお花で飾り、誕⽣仏に⽢茶をかけ、⼿を合わせお参りをします。
施設情報
寺名 | 浄⼟宗 春曜⼭ ⻄念寺(さいねんじ) |
住職 | 筧佳⼈ |
住所 | 〒517-0011 三重県⿃⽻市⿃⽻4-4-19 |
電話 | 0599-25-2590 |
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